シガラキマニア2021

産地のアーカイブ

連綿と続く歴史に裏打ちされた「やきもの文化」がこのまちにはあります。そこには先人たちの叡智が幾重に重なり、現代へ受け継がれています。今一度、先人たちが築いてきた「やきもの文化」の足跡を丁寧に学び直す中でこれからのまちの視座となる手がかりを探すプロジェクトです。産地の転換期であった1960年〜80年代に着目したアーカイブ展を開催します。信楽焼のである信楽窯業技術試験場のアーカイブや各窯元に残るアーカイブを掘り起こし、それらから産地として生き残るヒントが得られるような展示を開催します。

「産地のアーカイブ展 1960-80s」

本展覧会では1960〜80年を一つの時代枠として、産地の中心として存在してきた信楽窯業技術試験場の足跡をベースに、エクステリア陶器・輸出陶器といった当時のものづくりや取り組みに焦点を当てながら、産地が築いてきたアーカイブを振り返ります。

過去の資料を振り返ると、1960年代〜80年は陶器産地として何かしらの熱を帯びていたことがうかがい知れた。火鉢の生産が活況だった時代が終わり、産地として右肩下がりになっていく中で、何とか次の活路を見出していこうとする人たちの試行錯誤や先人たちの挑戦がそこにはありました。

当時の状況からは、今の産地と似通ったところも垣間見られます。生産額統計でみる当時の生産規模は、バブル以降に落ち込んだ現在の状況と同程度の規模であることや、時代の技術革新が進み、それが窯業界にも反映され出していることが挙げられます。また、日根野作三の日記をはじめ、当時の記録からうかがい知れる問題意識は、現在の陶器業界が直面する問題そのものでした。

そうした共通点ある時代を知り探求することは、これからの産地を考える上でのヒントが隠れているように思います。何より、昔の人がどのようなものづくりをしていたのか単純に興味が尽きません。
当時の人々は、どのような想いの中でものづくりに励んだのか、その情熱を今後の未来に継承することは、これからの産地を考える上で大切な視座となるのではないでしょうか。

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本展は、二部構成での展示を予定しています。
オンライン会場の会期中(10月2日(土)〜10月23日(土))に毎週展示構成を公開していきます。世界に誇れる陶芸産地「信楽」に眠っていた貴重なアーカイブを本展覧会の切り口で皆さんにも再発見していただきたく思います。
その後、新型コロナウイルス感染対策を万全とした上で、10月24日(日)から11月14日(日)の期間、川端倉庫にて実物の展示を公開する運びとなりました。ぜひお越しいただき、信楽のお宝をその目に焼き付けていただければと思います。
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会場

川端倉庫(甲賀市信楽町長野739)
※会場には駐車場がございません。お車でお越しの際は、お近くの観光駐車場(飯田歯科の裏:滋賀県甲賀市信楽町長野454−6)に停めていただき、徒歩でお越しください(徒歩10分)

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section01:
60年前の信楽の風景(1960〜80年)

『SHIGARAKI Potters’ Valley』という一冊の本がある。1979年に発刊された全編英語428ページからなるこの本は、信楽焼の産地、風土、技術など、やきものの産地信楽という存在をつぶさにリサーチし、初めて世界に信楽を伝えた本として知られる。その本の著書であるルイーズ・アリソン・コート(国立スミソニアン協会フーリア美術館学芸員)は、海外研究者として1962年に信楽を初めて訪れ、その後も数年に渡って信楽の地をリサーチしており、その調査過程で撮影された数多くの写真が残されている。そこには、60年前の信楽の風土が生き生きと映し出され、当時を知る貴重な資料である。
section01では彼女が記録した写真や文章の断片から、当時の信楽の風景を振り返ってみたい。

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section02:
信楽窯業試験場と産地
<Ⅰエクステリア陶器への挑戦>
<Ⅱ輸出陶器を目指して>

試験場では、戦後復興から高度成長期への移行期にあった1958(昭和33)年場長の平野敏三はアメリカ向け輸出陶器のデザイン研究のため、日根野作三を嘱託講師として招勝している。試験場では彼の指導のもと、植木鉢やテイーセットなど信楽の伝統技術を用いた輸出陶器のデザインを手掛けた。特に彼がデザインした灯龍は、'59年ワシントン州国際見本市で優良デザイン賞を受賞し、海外需要を得る成果を挙げている。これがエポックとなり、本格的なデザイン開発の展開がはじまった。
Section02では輸出陶器の発掘選定会の様子やその出展作品、図面を見て当時の製品開発の様子を振り返ってみたい。

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section03:
国際輸出陶磁器デザインコンペと信楽

1960年にはデザイナー、また現代陶芸作家として、走泥社で活躍していた熊倉順吉を招聰している。特に彼は大物陶器の伝統を活かした建築用陶器や庭園用陶器の分野に新機軸を拓いた。ガーデンファニチャー展('63年)や大阪万国博覧会('69年)では、信楽の新しい大物陶器が一躍注目されるようになり、都市の建築空間にも職極的に採用されてゆく。やがてエクステリアデザインへの展開を導いている。
Section03では大物陶器の技術を生かしたガーデンファニチャーにスポットをあて当時の製品を振り返ってみたい。

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section04:
干支については1957年(昭和32年)から信楽窯業試験場で熊倉順吉、八木一夫、船津英治らがデザインを行なっている。釉薬には火鉢で知られる海鼠釉をはじめ、並白、伊羅保など信楽の伝統的釉薬が用いられた。

丑(1972年/熊倉順吉)

寅(1973年/熊倉順吉)

馬(1977年/熊倉順吉)

酉(1968年/熊倉順吉)

犬(1969年/熊倉順吉)/p>

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プロジェクト担当シガラキマニア

石野啓太さん

石野啓太さん(いしの けいた)

信楽焼窯元明山窯でブランドマネージメントを日々の業務で行う一方で、同じ思いを持つ仲間と「ROOF」を立ち上げ、「地域のエリアイメージを編集する」というコンセプトを元に活動しています。信楽の魅力を多面的に捉える活動は、新たな発見を与えてくれます。

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